理解可能なインプットと i+1 が、実際に主張していること
i+1 でいちばん大事なのは「+1」ではなく「i」のほうです。ほぼ全部わかる文章に、一歩だけ先を混ぜる。この仮説は学界で決着していませんが、今夜の勉強のしかたは確かに変わります。
英語学習の話題でよく出てくる「理解可能なインプット」と「i+1」は、たいてい「ちょっと背伸びした教材を読もう」くらいの意味で使われています。これは半分だけ合っていて、そして実践の場面では、その半分の取り違えが決定的です。この考え方が本当に言っているのは、背伸びのほうではなく足元のほうだからです。
i は、あなたが今いる地点のことです。今すでに読めるもの、聞けば意味が取れるもの。+1 は、そこからちょうど一歩だけ先。つまり i+1 とは「わからないものを読め」ではなく「ほぼ全部わかるものを読め、ただし全部ではないように」という指定です。この非対称に気づくと、多くの学習法がなぜ失敗するのかが一気に説明できます。
なぜ「ほぼ全部わかる」ほうが要なのか
知らない語に出会ったとき、脳が持っている道具は文脈です。周りの語、文の構造、話の流れ。ここから意味の見当をつけ、そのあと確かめる。この一連の動作が起きると、その語には「どこに置かれていたか」という手がかりが付きます。単独で覚えた語より残りやすいのは、そのためだと考えられています。
ところが、周りの語もあやしいと、この道具は動きません。1文の中に知らない語が3つあると、推測に使える足場がなくなり、3つとも辞書を引くことになります。辞書を3回引いた文は、もう読んだ文ではありません。作業した文です。作業した文からは、たいてい何も残りません。
だから「+1」の1という数字には意味があります。多ければ多いほど良いのではなく、1のときに推測という動作がいちばん確実に起きる。2でも動くことはありますが、3を超えるとほとんどの人で崩れます。崩れた瞬間に、読むことは調べることに変わります。
この仮説は決着していません
正直に書いておきます。インプット仮説は 1980 年代に Stephen Krashen が提示したもので、第二言語習得の分野で最も有名な枠組みのひとつですが、同時に最も批判された枠組みのひとつでもあります。批判の中身を知っておくと、この考え方をどこまで信用すべきかの見当がつきます。
第一に、i も +1 も測れません。ある学習者の「今の地点」を数値で表す方法はなく、したがってある教材が本当に i+1 なのかを事前に判定することもできません。測れない量を含む主張は、反証もできません。ここが最も繰り返し指摘されてきた点です。
第二に、インプットだけで十分だという主張には反論があります。話す・書くという産出の側にも独自の役割があるという立場、相手とのやりとりの中で意味を調整する過程が要だという立場、そして「気づき」がなければインプットは通り過ぎるだけだという立場。どれも実証の蓄積を持っています。
第三に、外国語として英語を学ぶ環境では、そもそも大量のインプットが手に入らないという現実的な問題があります。移民として現地で暮らす人と、日本で毎日30分だけ英語に触れる人では、同じ処方が同じように効くとは考えにくい。
ではこの枠組みは捨てるべきかというと、そうではありません。「理解できる素材のほうが、理解できない素材より学習に効く」という部分については、細部の解釈が争われている一方で、実務的にはかなり広く受け入れられています。仮説として弱いのは、それが唯一の要因だと言い切ったところであって、要因のひとつだと考える分には、今夜の勉強を決めるのに十分な強さがあります。
今夜の勉強に落とすと、こうなります
- 手元の素材を1ページ読んで、知らない語に印をつけます。1文あたり3つ以上出るなら、その素材は今のあなたには重すぎます。教材の質の問題ではなく、順番の問題です。
- 1文あたり0〜1つに収まる素材を探します。退屈に感じるくらいがちょうどいい。理解可能なインプットは、体感としてはいつも少し簡単すぎます。
- 知らない語が出たら、まず調べずに読み切ります。見当がついてもつかなくても、そのあとで確認します。この順番だけは崩さないでください。
- 確認したあと、その文をもう一度読みます。今度は全部わかるはずです。この2度目の通読が、意味と形をつなぎ直しています。
- 同じ語に別の文でまた出会えるよう、素材を切らさないようにします。一度の遭遇で定着する語はごく少数です。
この形をアプリにしたのが Lexi です。流れてくる1文には、知らない語がちょうど1つだけ入っています。語をタップすれば発音記号と意味が出て、もう一度タップしてはじめて文全体の訳が出る。順番が逆にならないようにしてあるのは、上の4番目と3番目が入れ替わると効果が落ちるからです。
よくある取り違え
「難しいほうが伸びる」
負荷と学習効果は比例しません。読めない文章を睨んでいる時間は、負荷としては最大ですが、学習としてはほぼ空振りです。伸びているのは我慢する能力であって、英語ではありません。
「全部わかる文章を読んでも意味がない」
これも違います。すでに知っている語に何度も出会うことは、その語を「見ればわかる」から「読む速度を落とさずに処理できる」へ変えます。この変化は語彙表には出てきませんが、読解速度としてはっきり出ます。新出語がゼロの読書にも仕事はあります。
「i+1 は文法の話だ」
もともとの主張は文法構造についてのものでした。ただ、語彙に適用したときのほうが、実践では扱いやすい。文の構造が「一歩先」かどうかは判定が難しいのに対し、知らない語が何個あるかは数えられるからです。測れるほうを代理として使う、という実務的な割り切りです。
よくある質問
i+1 の「1」は語1つという意味ですか。
本来はそうではありません。もともとは文法構造について、今の段階のすぐ次にあたるものを指す表現でした。ただ、文法の「すぐ次」を判定するのは非常に難しいのに対して、知らない語の数は数えられます。そのため実践では、1文あたりの新出語を1つに抑えるという形で代理的に運用されることが多く、この解釈は本来の主張よりも狭いものだと理解しておくのが正確です。
理解可能なインプットだけで英語は話せるようになりますか。
なりません、というのが現在の一般的な見方です。もとの仮説は産出の練習を必須としませんでしたが、その点は最も批判された部分でもあります。話す動作は話すことでしか自動化しませんし、書く動作も同じです。インプットは語彙と文法の土台を作るのに強力ですが、それだけで出力が揃うと期待するのは筋が通りません。読む量を増やしつつ、口と手も動かしてください。
自分にとっての i がどこかは、どうやって判定すればいいですか。
数えるのがいちばん確実です。素材を1ページ読んで、知らない語に印をつけ、文の数で割ります。1文あたり0.5個前後なら快適に読めるはずで、1個前後なら学習としては効率が良く、2個を超えると読書が調べ物に変わります。素材のレベル表示はあてになりません。同じ「中級」でも語彙の負荷は大きく違うからです。自分の目で数えた数字だけが、あなたの地点を教えてくれます。
知らない語をその場で調べるのは悪いことですか。
悪くはありませんが、順番が大事です。まず調べずに文を読み切って、意味の見当をつけてから確認する。この順番だと、確認の瞬間に「合っていた」「外れていた」という反応が起きて、それ自体が記憶の手がかりになります。逆に、見た瞬間に調べる癖がつくと、文脈から意味を組み立てる作業そのものを一度も練習しないまま語数だけが増えていきます。
インプット仮説が批判されているなら、この方法は使わないほうがいいですか。
そうは言えません。批判の中心は「インプットだけで十分」「i と +1 が測れる」という強い主張の部分であって、「理解できる素材のほうが学習に効きやすい」という弱い形の主張までは否定されていません。実務的には、理解できる範囲の素材を大量に読み、それとは別に産出の練習を確保する、という組み立てで問題ありません。仮説の弱点を知ったうえで、使える部分だけを使うのが現実的です。
10分だけ、この方法を試す
Lexiは短い英文を1つずつ差し出します。そこに知らない語はちょうど1つ。タップすれば発音記号と意味、もう一度で文全体の訳、どちらも読み上げられます。ライブラリは端末の中にあるので電波がなくても動き、アカウント登録もありません。1日30文、すべての単語帳、すべての語義言語が無料です。